左側通行と右側通行の国があるのはなぜ?
世界で76の(保護領を含む)国と地域が左側通行、163の国と地域が右側通行であり、
人口比では左側通行と右側通行の比率が34:66という事です。 では、なぜ右側通行と左側通行の国があるのでしょうか? 歴史上では、左側通行が最初でした。下記にも記述した通り、人口の約90%が右利きである事から見知らぬ人とすれ違う場合において、何か起きた場合右手を使えるようにした方が良い事から 左側通行が通例でした。
左側通行の国
イギリスおよび一部を除く旧イギリス領(アイルランド・香港など)
一部を除くイギリス連邦加盟国(オーストラリア・ニュージーランド・インド・パキスタン・マレーシア・ブルネイ・シンガポール・ケニア・南アフリカ・キプロス・マルタ・ジャマイカ・ガイアナ・バハマなど )その他で左側通行を採用している国や地域は日本・タイ・インドネシア・スリナム・モザンビーク・東ティモール・マカオなどである。
右側通行の国
一部を除く北米大陸諸国(アメリカ・カナダ・メキシコ・コスタリカ・パナマなど)、欧州大陸諸国(ドイツ・フランス・スイス・イタリア・スペインなど)、インドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)、イスラエル・サウジアラビア・ロシア・CIS諸国・ペルー・ブラジル・モンゴル・中国・台湾・ミャンマー(ビルマ)・朝鮮半島(韓国・北朝鮮)などがある。
左側通行から右側通行へ変更した国々
● カナダは1867年までイギリス植民地であり、アメリカと陸続きであることから1920年代に右側通行に変更。
● オーストリアは、1938年のナチス・ドイツによる独墺併合(アンシュルス)を機に、右側通行に変更。
● ポルトガルは、1928年に左側通行から右側通行に変更。
ただし、旧ポルトガル植民地であってもモザンビークや東ティモール、マカオは左側通行。
● チェコスロバキアやハンガリーが1930年から1940年代にかけて左側通行から右側通行に変更。
● 中国大陸では1949年の中華人民共和国成立後は、全土が右側通行に変更・統一されている。
ただし、香港およびマカオは中国に返還された後も左側通行を維持。
● 台湾・パラオ・フィリピン・朝鮮半島(韓国・北朝鮮)などは、日本に統治されていた時代は日本式の左側通行であったが、日本の敗戦後は右側通行に変更。
● ミャンマーは、旧宗主国であるイギリスからの制度である左側通行を1970年に右側通行に変更。
● イギリス領ジブラルタルでは、1990年代後半に本国同様の左側通行から隣国スペインに合わせ右側通行へ変更。
● 1967年9月3日に、スウェーデンで自動車の通行区分が左側通行から右側通行へ転換された。(ダゲン・H)
右側通行から左側通行への転換は、ナミビアとナウル(共に1918年)、サモア独立国(2009年)、 また、沖縄県(1978年7月30日午前6時をもって、日本本土に合わせて再び左側通行に戻した。これを730(ななさんまる))がある。 サモア独立国は、2009年9月7日から、自動車の通行区分を従来の右側通行から左側通行に変更した。
人口比では左側通行と右側通行の比率が34:66という事です。 では、なぜ右側通行と左側通行の国があるのでしょうか? 歴史上では、左側通行が最初でした。下記にも記述した通り、人口の約90%が右利きである事から見知らぬ人とすれ違う場合において、何か起きた場合右手を使えるようにした方が良い事から 左側通行が通例でした。
左側通行の国
イギリスおよび一部を除く旧イギリス領(アイルランド・香港など)
一部を除くイギリス連邦加盟国(オーストラリア・ニュージーランド・インド・パキスタン・マレーシア・ブルネイ・シンガポール・ケニア・南アフリカ・キプロス・マルタ・ジャマイカ・ガイアナ・バハマなど )その他で左側通行を採用している国や地域は日本・タイ・インドネシア・スリナム・モザンビーク・東ティモール・マカオなどである。
右側通行の国
一部を除く北米大陸諸国(アメリカ・カナダ・メキシコ・コスタリカ・パナマなど)、欧州大陸諸国(ドイツ・フランス・スイス・イタリア・スペインなど)、インドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)、イスラエル・サウジアラビア・ロシア・CIS諸国・ペルー・ブラジル・モンゴル・中国・台湾・ミャンマー(ビルマ)・朝鮮半島(韓国・北朝鮮)などがある。
■ 諸説@ 刀の鞘同士が当たらないようにするため
3万年前から世界人口の約90%が右利きと言われています。(心臓が左側にあるため、心臓を守ろうと盾を左手で持ち、剣を右手で持った方が戦いで有利であるという進化の過程による。)
そのため、侍も右手で刀を持つことになります。よって、刀の鞘は右側でなく左側にさすようになる。右側通行にすると刀の鞘同士が接触する事になり、揉め事の原因となる事から
鞘同士の接触を避けるため、日本では左側通行になったという説。
■ 諸説A イギリスから鉄道の技術を導入したため
日本の鉄道は、イギリスから技術提供を受けていたそうです。
イギリスは左側通行で、自動車もないような頃は乗物といえば鉄道であった。
その後、自動車も鉄道にあわせて左側通行にした方良いという理由から。
イギリスが左側通行である理由として、御者が荷馬車を操作する際、上記の通り右利きが多いため鞭を右手で振り回すことになる。御者が荷馬車の左側に座ると荷台や客室に鞭が当たってしまう事から 御者は荷馬車の右側に座るようになった。右側通行にすると離合する際、対向車との間隔を把握する事が難しくなる。よって、左側通行した方が都合が良いという説がある。
イギリスが左側通行である理由として、御者が荷馬車を操作する際、上記の通り右利きが多いため鞭を右手で振り回すことになる。御者が荷馬車の左側に座ると荷台や客室に鞭が当たってしまう事から 御者は荷馬車の右側に座るようになった。右側通行にすると離合する際、対向車との間隔を把握する事が難しくなる。よって、左側通行した方が都合が良いという説がある。
■ 諸説B 馬車と鞭の関係
ヨーロッパやアメリカで右側通行の理由は、6頭立てや8頭立ての大型荷馬車を扱う場合、御者は右手で鞭を振る事になります。よって、荷馬車の右側ではなく左側に座った方が鞭が扱いやすくすべての馬に指示を出す事ができる。
左側通行の場合、御者は左側に座っている事から対向車との間隔をとる事が難しくなる。よって、右側通行し離合する際は右側に寄る事を容易にしたという説。
また、荷馬車の右側に座って扱う場合においても、右手で鞭を扱う事から左側通行にすると離合する際、鞭同士がからむ可能性があるから右側通行という説もあります。
■ 諸説C フランス革命とナポレオン
1300年始め頃、ローマ法王ボニファチウス8世が、“すべての道はローマに通ず”と宣言してローマへの巡礼に道路の左側を通行するように指示。
その後、フランス革命の時、革命派は、ローマ法王の指示による左側通行ついても反論し右側通行を推奨。
革命後のナポレオンも、右側通行を継続し車両すべてに右側通行を命じました。また、ナポレオンは左利きであったため、剣を抜いて直ぐに戦うためには、相手の右側に位置した方が有利であるとの説(ただし、左利きであったどうかは不明)
ナポレオン以外の当時の軍隊は左側通行に慣れていたため、左側面からの攻撃に対して、弱いという事に気付きナポレオンの作戦であったとする説。
銃社会に変わりつつあった時代で、銃を構えるには、物理的に目標に向かって上半身を左方向に向けなければならず、剣の場合と反対に、左側に敵を回すと都合が良く、素早く攻撃できるので、右側通行を軍隊に定着させた。
また、ナポレオンに征服されなかったヨーロッパ諸国では左側通行が残ったが、次第に右側通行に切り替わっている。
左側通行から右側通行へ変更した国々
● カナダは1867年までイギリス植民地であり、アメリカと陸続きであることから1920年代に右側通行に変更。
● オーストリアは、1938年のナチス・ドイツによる独墺併合(アンシュルス)を機に、右側通行に変更。
● ポルトガルは、1928年に左側通行から右側通行に変更。
ただし、旧ポルトガル植民地であってもモザンビークや東ティモール、マカオは左側通行。
● チェコスロバキアやハンガリーが1930年から1940年代にかけて左側通行から右側通行に変更。
● 中国大陸では1949年の中華人民共和国成立後は、全土が右側通行に変更・統一されている。
ただし、香港およびマカオは中国に返還された後も左側通行を維持。
● 台湾・パラオ・フィリピン・朝鮮半島(韓国・北朝鮮)などは、日本に統治されていた時代は日本式の左側通行であったが、日本の敗戦後は右側通行に変更。
● ミャンマーは、旧宗主国であるイギリスからの制度である左側通行を1970年に右側通行に変更。
● イギリス領ジブラルタルでは、1990年代後半に本国同様の左側通行から隣国スペインに合わせ右側通行へ変更。
● 1967年9月3日に、スウェーデンで自動車の通行区分が左側通行から右側通行へ転換された。(ダゲン・H)
右側通行から左側通行への転換は、ナミビアとナウル(共に1918年)、サモア独立国(2009年)、 また、沖縄県(1978年7月30日午前6時をもって、日本本土に合わせて再び左側通行に戻した。これを730(ななさんまる))がある。 サモア独立国は、2009年9月7日から、自動車の通行区分を従来の右側通行から左側通行に変更した。